<雪とけて村一ぱいの子ども哉(かな)>小林一茶。こんな風景も、まぶたの裏で想像するほかない少子高齢化の昨今である。子はかすがい、子は宝というけれど
きのうの本紙19面写真特集「わが家のベストスナップ」には、紙面いっぱいに、幸せいっぱいの子どもたちの顔が並んでいた。レンズのこちら側には、子や孫の成長を見守る人々の優しい視線があったのだろう
永遠に瞳を閉じたあの子たちにもきっと、そんな一瞬があったはず。そう祈りたい。でないと、あまりに残酷だ。また3歳児が殺された
今度は東京都内、加害者は母親と交際中の暴力団組員。なぜこうも繰り返されるのか、と問うだけ無駄だろう。一人でも多くの子に幸せを、と願い防止に知恵を絞る社会をせせら笑うように、幼子を虐待して恥じない人間がいる
目に見えた暴力ではない。しかし、こちらも対処を急がねば、子どもたちを苦しめることになりかねない。原発の使用済み核燃料の問題である。国は年内に高レベル放射性廃棄物の最終処分場の「科学的有望地」を公表する考えだが、立地はすんなりと進むまい
そんな中での福井県の高浜原発3号機再稼働。再処理工場の操業も先送りされたまま、行き場のない「ごみ」は増えるばかり。子は宝というなら、未来に対してもう少し慎重になった方がよくはないか。