戦前戦後、沖縄県のハンセン病患者の救済に尽くした青木恵哉(けいさい)は、徳島県南部出身のキリスト教伝道者である。自身も同じ病を抱えていた。その生涯をたどって、連載記事にまとめたことがある

 記事が何本か掲載された時、知人から電話をもらった。意外な話だった。-入院中の兄が「この人だ」と連載記事を示したこと、「身内か」と聞くと深くうなずいたこと、親族と分かった青木を誇りに思うこと-

 遺骨の引き取りを兄に提案したが許されなかったという。「まだ、そんな時代ではない」。そう言い残して、兄は3日後、亡くなった。ほんの15年前のことである

 21世紀に入っても、元患者は差別や偏見にさらされ、多くの家族が息を潜めて生活せざるを得なかった。元患者が起こした国家賠償訴訟で国が過ちを認め、病気への理解が進んだ今では考えようもないだろうが

 懸命に名を呼ぶ声が、青木の背中を追い掛けた。<父は男泣きに泣きながらいった。「困らないうちに帰って来るんだよ」と。これが父とのこの世の別れになってしまった>(「選ばれた島」新教出版社)

 断ち切りたくて断った肉親の縁ではない。長年のハンセン病強制隔離政策で、ひどい偏見や差別を受けたとして、元患者家族が国に謝罪と賠償を求めて熊本地裁に提訴した。家族の思い、察するに余りある。