「お父さん、お母さんの名前を大きな声で呼びながら家に入っていったよ」。政府主催の追悼式、遺族代表の言葉に、涙がこぼれそうになった。近所の人が証言してくれた、父の最後の姿だという
雪の舞う海辺で、どれほど同じ光景があっただろう。祖父よ、祖母よ、息子よ、娘よ、隣人よ、友人よ。叫び声をかき消す津波が、東日本に押し寄せた5年前のあの日
思い出も何もかも、容赦なくさらっていった。遺族代表・木村正清さんの両親も、宮城県女川町の実家も。唯一の形見となった、めおと茶わんを残して。女川の犠牲者は827人。大震災の犠牲者は関連死を含めて2万1千人を超す
被災地を歩いた時の記憶がよみがえる。骨組みだけになった防災庁舎、児童の声の消えた小学校、崩れた防潮堤、住宅地に乗り上げた大型漁船、建屋の吹き飛んだ東京電力福島第1原発
箱回しの芸人と訪ねた仮設住宅で、福を呼ぶというえびす人形を、すがりつくように握った幾人もの手。あれから5年、その手に十分応えてきたといえるのか。政府が事業費を全額負担してきた「集中復興期間」は終わるけれど
時を刻まなくなった時計がある。癒やせない痛みがある。古里に戻れない人がいる。言い尽くせぬ思いを抱えた被災地の人たち。その手を離すことなく、共に考えたい。これからも。