45年前、既に過疎は進んでいた。そのころに哲学者内山節(たかし)さんは群馬県の山中、上野村に入り、以来、東京の仕事場と行き来している。平たん地がほとんどなく、水田一枚ない上野村の暮らしの中で「新太郎さん」に出会う
彼は2軒しかない神行(かんぎょう)という集落で、畑を耕し、山に木を植え、時にヤマメを養殖した。それで不足はなかった。亡くなるまで人生の大半は神行の景色と共にあった
内山さんは、その姿を見て思いを巡らす。新太郎さんのように満ち足りた表情で人生を語ることができるのだろうか
新太郎さんもそうだったが、農山村の人々にとって、必ずしも条件のいい場所が最良ではなく、今暮らしている所こそが最良なのではないか
最良の場所とは選択するものではなく、「諒解(りょうかい)」するものだと。そして、それは自然の営み、村の人たち、祖先、歴史、文化との関わりの中で生きていくうちにつかむのだと。近著の「いのちの場所」(岩波書店)で詳述している
内山さんに同伴して神山を訪ね、東京から神山に住まいも会社も移した隅田徹さんに案内してもらった。巡る季節をめで、神山の人たちと寄り合ってきた約3年の暮らしを語る隅田さんの姿に、諒解した一人を見るような思いがした。哲学は美しく生きるためにある、という内山さんの本紙コラムが10日から始まる。