起きた災害と起きるかもしれない災害の間「災間」という言葉が浮かんだが、余震が多発する今、まだそのさなか「災中」にある。14日に起きた熊本地震からきょうで1週間になるのに

 現地から戻った本紙記者の報告を聞いた。徳島から9時間かけて入った震源地の益城町(ましきまち)。広がる光景に息をのむ間もなく、倒れた家を前に立ち尽くす人、家族を亡くした人から話をうかがった

 同じように取材を進める人の中に、東日本大震災を経験した東北の地方紙記者の姿があった。産土(うぶすな)が揺れ、汚された記憶が残る彼の目には、一人一人の言い尽くせない思いが見えるだろう。そんなことが頭をよぎる

 産土の徳島を離れて久しい関係者から話を聞き終えて、宿に戻った16日未明、「本震」に遭う。浴室のガラス戸が開閉を繰り返し、立っていられない状況に身の危険を感じた

 避難した公園で毛布にくるまった人と声を掛け合い、ふと思い浮かんだのが、崩れたアパート近くで見た1枚の家族写真。被災者の悲しみが胸に迫り、それを伝えきれないもどかしさに気付いたという

 東日本大震災後、福島の人から教えられた言葉を本紙記者と共にたどった。<情報とはインフラであり、産業でもあるが、「情け」を伝える道具なのだ>。被災者の悲しみ、苦しみを紙面で引き受けていかなければならない。