歴史の片隅に追いやられた言葉がある。ことわざ研究の第一人者として知られる時田昌瑞さんの「辞書から消えたことわざ」(KADOKAWA)を面白く読んだ
今も使われる「疾風に勁草を知る」。激しい風を受けて初めて草の強さが分かるように、苦難にあって初めて人の真価が分かる。いつか運が巡ってくるもので、「踏まれた草にも花は咲く」
「徳は身を潤す」というけれど、「丸くとも一角あれや人心」。柔和な中にも気骨が必要か。外見だけを取り繕うようでは「あかん弁慶その手は義経」。弘法大師もお怒りである。「衣を染めて心を染めず」と
言葉は移ろいゆくものである。あるものは消え、あるものは生まれる。いずれにも理由があるのなら、ネットに飛び交う、毒々しい言葉の源流はどこか
犬や猫は感覚で生きる。人は言葉で考える。何げない言葉も、人の在り方に影響を与えよう。はばかられるような言葉が平気になれば、はばかられるような行為も平気になる。一つの表れがヘイトスピーチだろう
徳島県教組への業務妨害事件で、高松高裁は「在日特権を許さない市民の会」の行為を「人種差別に該当する」と断じた。ネットに育てられたとしても罪は人にある。汚い言葉で自らの醜い内面をあからさまにするのは、そろそろやめにしてはどうか。右も左も。