旧ソ連ウクライナのチェルノブイリ原発事故から30年。かつて5万人の原発職員らが暮らしたプリピャチの町に、今はオオカミやシカ、イノシシ、ヤマネコが出没する

 原発のためにつくった町が原発事故で廃虚になるのは皮肉なことだ。だが、元の自然には返らない。動物たちにも容赦なく放射線は降り注いでいる。いつ果てるともなく

 原発事故の後始末。それは気の遠くなる作業だ。事故が起きた4号機を覆う石棺は老朽化し、耐用年数が100年の巨大な金属製シェルターで密閉する計画が進んでいる

 世界が胸を痛めたのは、事故から4~5年後に急増した甲状腺がんなどの子どもたちのことだった。世界保健機関は原発事故によるウクライナ、ロシア、ベラルーシのがんの死者を最大9千人と推定した。「今は健康でも、いつ発病して死ぬか分からない」。プリピャチから避難した経験を話す少女のおびえた目の色を思い出す

 気になるのは、東京電力福島第1原発の事故との相似だ。事故当時18歳以下だった子どもが対象の福島県民健康調査では、116人ががんと診断された。放射線との因果関係は明らかではないが、不安は尽きない

 医療から心のケアまで、福島がチェルノブイリに学ぶことは多い。今ある命、これからの命をつなぐために、国境を越えた協力の輪を広げたい。