山を抜けると、目の前には不知火海が広がっていた。熊本県水俣市。この風光明媚な町で、公害の原点とも言われる水俣病が公式に確認されたのは1956年5月1日のことだ

手足がしびれる、視野が狭くなる、ひどい場合は、のたうち回って亡くなった。チッソ水俣工場の排水に含まれたメチル水銀が、食卓に上る魚を通じて体に入り、脳の神経細胞を壊したのである

「うつる、近寄るな」。戸を開ければ石が飛んできた。ある患者は家族をこう諭したという。「人を恨むな、水俣病も『のさり』と思え、時化と思え、台風と思え」。のさりとは天からの授かり物を言うそうだ。「ばってん、こん時化は長かねえ」

水銀のたまった湾は、埋め立てられて公園になった。その一角、水俣病資料館でいただいた冊子には、予期せぬ運命をわが身に、わが子に背負わされた人たちの悲痛な叫びが詰まっていた

<親戚のごちそうの時とか、みんなとは一緒に食べないようにしとります。こぼしたり、おかしな食べ方をすれば、他の人がおいしくなかろうと思い、一人で台所で食べます。でもさみしくて涙が出てしまいます>(同館編「戻らぬ命」)

公式確認から60年。公害健康被害補償法に基づき、2280人が患者に認定された。ハードルは高く、まだ2千人を超す人が認定を待っている。