未来は変わる、変えられる。誰が想像しただろう。原爆を落とした国の指導者と被爆者が、かつて原子の炎に焼き尽くされた広島で、しっかり手を取り合う光景を-

71年前のあの朝、建物を取り壊し、防火地帯を造る作業に、8千人以上の子どもたちが動員されていた。爆心地から800メートルの中学校。青白い稲妻が光ったという。当時13歳だった川本義隆さんが証言している

息があったのは10人ほど。校舎の下敷きになりながら、皆で校歌を歌ったそうだ。生きようと励まし合ったのである。「そのうちに歌声が一つ減り、二つ減り、なくなっていくのです。最後には私一人が歌っているのです」

勤労動員中、犠牲になった学生・生徒は、先の戦争を通して1万1千人。うち6千人余りが広島で命を奪われた。1発の原爆が持つ意味は明らかだ。全身を焼かれた遺体の間を歩き、持たせた弁当箱で、ようやくわが子と確認した母がいる。ついぞ巡り会えなかった親子がいる

米国の現職リーダーとして初めて、オバマ大統領が広島を訪問した。あの年だけで14万人が亡くなっている。聞こえたろうか、被爆者の声が

大統領は述べた。「われわれは学ぶことができる。選択することができる」。原爆を使った唯一の国と、唯一の被爆国。核兵器のない世界へと、人類をいざなう責任がある。