福島県会津地方の方言に「ない」「なし」というのがある。会話でよく耳にする「…ね」や「…よ」に当たり、「…んだなし」のように使われる
「なし」が丁寧語になると、「なんし」となる。野口信一さん著「会津とっておきの歴史」(歴史春秋社)に笑い話がある。ある嫁が何でも「なんし」を付けていると、姑が注意した。恐縮した<嫁は「そうだなんし、なんし、なんしと言うめいと思ったんだがなんし、またもなんしが出たわいなんし」と答えたという>
鳴門にあった板東俘虜収容所の所長を務めた松江豊寿は会津生まれ。ドイツ人捕虜を人道的に処遇し、1918年6月1日、その捕虜によって「第九」が演奏された
歴史に「…たら」「…れば」はないけれど、松江が所長でなければ、鳴門が「第九」アジア初演の地となっていただろうか。鳴門でおととい開かれた「第九」交響曲演奏会で、全国から駆け付けた人たちの歌声を聞きながら、第九が取り持つ縁の広がりを実感した
演奏会を取材した福島民報の記者と共に初演100年となる2年後、お目見えするだろう松江の銅像に思いをはせた。さて、松江の目はどこに向かうのか。会津か、ドイツか
泉下の松江は、回を重ねる演奏会を、響き渡った歓喜の歌を、こう言いながら聞いたかもしれない。「ありがとなし」と。