平成の大嘗祭で使った麁服の機織り機の前で、当時を懐かしむ吉田幸治さん=吉野川市山川町の山川地域総合センター

平成の大嘗祭に調進するため織られた麁服。三木家で安置した後、大嘗祭に調進された=1990年10月27日、美馬市木屋平貢の三木家

 吉野川市の阿波忌部麁服調進協議会顧問、吉田幸治さん(93)は3月中旬、同市山川町の山川地域総合センターを訪ね、平成の大嘗祭のため大麻の織物「麁服」の製作に使われた機織り機を見て懐かしんだ。

 「29年前でもよう覚えてます。麁服ができるまで緊張や不安を覚えながら過ごす日々だった。まさか2度も貢献できるとは」

 協議会は今回、美馬市木屋平でできた麻糸を9月に受け取り、10月中旬に反物に織り上げる役目を担う。吉田さんは協議会の会員95人の中で、平成の麁服作りに関わった数少ない伝承者の一人だ。

 吉田さんによると、1990年の平成の麁服作りでは、4月に機織りをする4人の「織り女」を選び、夏ごろまで機織り機の基本操作の訓練をした。

 指導に当たったのは旧木頭村に残る古代布「太布」を使った藍染作品などを創作していた染織作家の川端芙美さん(故人)だ。

 吉田さんが記憶を呼び起こす。「川端さんは、幼い頃から麁服作りが夢だったという人で、自分が織りたいと望むほど熱心だった。それでも『麻の縦糸を紡ぐのは難しい』と言っていた。宮中に納められるような反物が仕上がるのか心配だったのかもしれない」

 同年9月11日に麻糸を受け取ると、17日に織り初め式をして本番がスタートした。高校生や大学生らの織り女は、授業が終わった後、みこの姿になって吉野川市山川町忌部山の中腹に立つ山崎忌部神社に出向いた。

 「(織り女たちは)あとこれだけ、あとこれだけ、と言いながら夜の9時、10時まで織った。途中で投げ出すかも、と心配したが無用だった」

 毎晩のように「タン、タターン、タタ」と機織り機の音が響き、うまくいけば30分で約15センチ織り上がった。調進する4反が完成したのは10月中旬。1反の大きさは長さ約11メートル、幅約34センチ。きらきらと白く輝いていた。

 その後、阿波忌部の子孫と伝わる美馬市木屋平貢の三木家で祭祀をしてしばらくの間、安置した。川井小学校で盛大な出発式をして吉野川市の山崎忌部神社で披露された。

 皇居への出発式では三木家当主の信夫さんを先頭に、境内から古い石段を慎重に下っていった。

 吉田さんは「川端さんをはじめとする関係者は、運ばれる唐びつを目で追い掛けながら、娘を嫁がせる気持ちになった。織り女たちは『これで終わりかと思うと寂しい』と口々に言っていた」としのぶ。

 10月29日、麁服を持つ三木家当主、信夫さんら14人は旧脇町、川島署の警察官に守られながら飛行機で東京へ向かった。

 翌日、一行は雨の中、皇居の乾門に到着すると、開門されて宮中三殿へ。神門の前で下車し、神門をくぐって神嘉殿の前で唐びつを開け、麁服が入った桐箱を取り出して無事に調進を終えた。

 今回の大嘗祭を前に、昨年10月末には阿波忌部麁服調進協議会が発足。木村雅彦会長の父の悟さん(故人)も平成の時に組織の責任者を担った。木村会長は平成の実績を参考にして計画を策定中だ。このほど発注していた機織り機が届けられ、地元の氏子関係から織り女4人を選ぶことになる。

 織り女は夏まで機織り機の基本操作を習熟し、秋に製作の本番を迎える。「やがてタン、タターン、タタと機織りの心地よい音を聞かせてくれることになる。待ち遠しい」と吉田さんが笑った。