<なんとけふの暑さはと石の塵を吹>鬼貫。冷房のないころは、どうやりすごしていたか。腰掛け石のごみを払って、やれやれ、と夕涼みをする暮れ方まで

 江戸の夏、午後。古川柳にある。<ふんどしをぜひなくしめる暑い事>。素っ裸で涼んでいたら、そこへ来客。裸で応対もできず、仕方なく、ふんどしへ手を伸ばしたわけである。どうぞどうぞ、と主人のたっての勧めで、客もやがてこんな姿になる。<暑気見舞たつて裸にされる也>

 後半生を和歌山県田辺市で過ごした南方熊楠も裸身愛好家。18の言語を操り、「歩く百科事典」と呼ばれた博物学者の、奇行の一とされたから、明治になれば、幾分状況が変わったか

 さらに状況は変わって、冷房なしでは夏を越せない現代である。できれば頼りたくないが、ついついリモコンに手が伸びる。<念力のゆるめば死ぬる大暑かな>村上鬼城

 この句の「死ぬる」は、程度のひどさをいったのだろう。今どきの気候は言葉だけでは終わらない。昔ながらの知恵も形無しといったところがある。炎天下はもちろん、室内にいても安心できないのが熱中症だ。無理をせずに、冷房の恩恵にあずかるのが一番

 時を待つ、この二人には酷暑も関係ないだろう。第一、川辺にいるのだもの。ササの葉が揺れる、あすは七夕。まだまだ続く、暑さの夏。