命はかけがえのないものだと教えられ、教えてきた。教え、教えられを繰り返し、私からの命、あなたからの命を引き継いでいかなければならない。そこかしこで

亡くなった人の無念、突然の別れを告げられた家族の悲しみはいかばかりか。相模原市の知的障害者施設にきのう未明、刃物を持った元職員の男が侵入し、入所者を次々に殺傷するという凄惨な事件が起きた

この一報に多くが耳を疑い、「なぜ」という声が出たに違いない。26歳の男を駆り立てたものは何か。事件前の不穏な行動、逮捕後の言動だけでは推し量れない。だが、無抵抗な弱者の命を粗末に扱ったということだけは分かる

いつもと変わらない朝を迎えることなく、一瞬にして奪われた命を悼んで、現場に寄せられるのは慟哭だろうか。「なぜ」とともに、「怒」「憤」が、慟哭の中に渦巻くのが見えるようだ

慟哭の哭。哭という字は、器という字の中に含まれている。人の身体を生命の器と考えると<哭は、この生命の器が割れたときの嘆声でもあるのではないでしょうか>。詩人の吉野弘さんの「詩の一歩手前で」(河出文庫)にこうある

一人の生命の器を割れば、その人の生命につながる命の器も傷つき、時に割れることもある。<割れた瞬間の、音ともいえないような、かすかな悲鳴>を想像しなければ。