批評家若松英輔さんと、福島の詩人和合亮一さんの往復書簡を時折開く。「悲しみが言葉をつむぐとき」(岩波書店)。若松さんが数年来、ひたすら想(おも)いを重ねてきたのは「見えない涙」だった

 <悲しみがきわまると、頬を伝う涙は涸(か)れる。悲しみは外からはうかがえなくなる。しかし、見えない涙は心を烈(はげ)しく流れている>。熊本地震から百か日「卒哭忌(そっこくき)」が過ぎた。震度7の揺れに2回襲われた益城町(ましきまち)と西原村で慰霊祭が開かれたが、現実を、悲しみを受け止めるには、まだまだ時間が要る

 遺族や被災者に寄り添うように働く人たちの中に臨床宗教師の姿がある。布教を目的とせず、心のケアに取り組む僧侶や牧師だ

 東日本大震災後、東北大で養成講座が始まったのを機に広がった。九州では20人近くが活動し、益城町を中心に被災者の不安に耳を傾けている

 24日付本紙朝刊で3作品を紹介した和合さんは、大震災で亡くなった知人への鎮魂のための詩も作り続けている。筆を動かし、中空を仰ぎ、不可視の涙を流し続けても良いのだと<日々、言葉そのものに教えられています>と若松さんに書いた

 批評家や詩人のように言葉を紡げなくても、臨床宗教師のように耳を傾けることができなくても、できることはある。見えない涙を流す人たちに思いを寄せる。忘れないことである。