長崎原爆被災者協議会の小峰秀孝さんには、やりきれない思い出がある。中学卒業後、働くつもりで訪ねたすし店で就職を断られた。「食べ物商売だから…」。被爆者は雇えないというのである

 原爆に遭ったのは4歳。長崎市の爆心地から1・3キロの畑で昆虫を探していた。その時に負った大やけどの痕が、両腕と両脚にある。交際中の女性の父親から「厚かましい」と言われ、自殺を図ったことも。原爆は体ばかりか心にも深い傷をつけた

 10年余り前、ワシントンの国立スミソニアン航空宇宙博物館で、広島に原爆を投下した米軍B29爆撃機「エノラ・ゲイ」を見たという。怒りがこみ上げた。ただ同時に、銀色に光り輝く機体は「かっこいい」とも思った。科学技術を戦争の道具にした人間の罪。そんなことを考えた

 71回目の長崎原爆の日。核兵器保有国の首脳は長崎、広島を訪れ、原子雲の下で人間に何が起きたか知ってほしい。そこをスタートラインに、核廃絶へ持てる限りの英知を結集してほしい。祈念式典の平和宣言はこう呼び掛けた

 戦争に勝つため、あらゆる知識が集められ、原爆は誕生した。今も核兵器の近代化に、科学は浪費されている

 なぜ全ての英知が、平和に振り向けられないのか。「科学を悪用するな」。原爆の語り部でもある小峰さんは訴え続けるつもりだ。