地方創生という言葉が登場する前から、もがきながらも、まちづくりを進めてきた自治体は少なからずあった。大分県知事を20年余り務め、一村一品運動を世界に広めた平松守彦さんの訃報を聞いて、ある村を思い出した

 大分県大山村(現日田市)。矢幡治美村長は1962年の仕事始め式でこう宣言した。「これからNPC運動の本番に入る」。NPCは造語で、米麦を捨て、利潤の高い梅(PLUM)とクリ(CHESTNUT)の産地を作る新しい(NEW)運動だった

 貧困にあえぐ農業の現状を見た矢幡さんの、一見奇策と思えたアイデアは当たる。「梅、クリ植えてハワイへ行こう」のキャッチフレーズ通り、ハワイツアーも実現させた。これが、一村一品運動の前史である

 東京や世界に通用する特産品を作る運動だが、平松さんは補助金も出さないし、「一村一品課」も作らなかった。「補助金なんか出してたら、補助金がなくなった時点で運動は終わっていた。住民が主体で行政は後押し。知事の不易の使命です」(本紙2004年3月28日付)

 平松さんは言う。マニフェスト(公約集)を作るのもいいが、それは流行。県民所得を上げ、地域でやりがいを持つ人を育てるのが不易の使命だとも

 さて、流行語のようになった地方創生、平松さんは、どう見ていたのだろう。