後悔の重さを量る計量器があるなら、「首相の座に最も近い男」と言われながら、目前で逃した加藤紘一元自民党幹事長の針は、どれほど大きな目盛りを指すだろうか
老舗派閥「宏池会」(現岸田派)を足場にして、世に言う「加藤の乱」を起こしたのは2000年。不人気の極みだった当時の森喜朗首相に反旗を翻し、野党の内閣不信任案に同調すると退陣を迫った
「勝算は100パーセントある」と意気込んではみたが、執行部に自派閥を切り崩された。本会議前の派閥議員総会で「大将行くな」と引き留められ、流した涙がすべての終わりを物語っていた
本紙「ニュース九十九折(つづらおり)」コラムニスト後藤謙次さんが田中角栄元首相から聞いたそうだ。「君らの会社でも自分の方が優秀だから、社長になった方がいいと思っていてもなかなか代えられるもんじゃない。人間社会とはそういうもんだ」(「平成政治史2」岩波書店)
その後は、閣僚や党の要職から遠ざけられ、政界の中枢に舞い戻ることはなかった。20世紀も最後の年の政局は、「リベラル保守」の転機ともなった
「政治は小魚を煮るように丁寧に」とは、薫陶を受けた大平正芳元首相の言葉だという。「丁寧に政治をする心構えを取り戻さないと、保守政治の危機になる」。師弟二人の歯がみが、遠くから聞こえてくる。