悪化する日韓関係に、解決の糸口が見つからない。文在寅政権は「反日」をてこに南北融和や国内の支持固めに躍起だ。そもそも、解決への意思があるのかさえ疑わしい。

 だからといって、私たちも、かつての日本統治が朝鮮半島にもたらした問題から目をそらすわけにはいかない。

 「負の遺産」として子や孫の世代に背負わせないために、何ができるのか。両国の民と民が互いの心を知り、友情を積み重ねていくしか方法はないだろう。

 平成から令和へと時代が移りゆく中、韓国の民衆に慕われた日本の皇族出身の福祉活動家に思いを巡らす。

 李方子。旧皇族梨本宮家の長女として生まれ、1920年、朝鮮王朝最後の皇太子、李垠と結婚した。国家が決めた政略結婚だった。

 戦後、王族の地位と財産を失い、無国籍に。63年、62歳で夫の祖国に渡り、心身障害者の教育施設を設立した。日韓で資金集めに奔走、民間福祉の先駆となった。

 自伝には「韓国の社会が少しでも明るく、不幸な人が一人でも多く救われることを祈りつつ、一韓国人として悔いなく生きてゆきたい」と記している。

 30年前の4月末、住まいのソウル・昌徳宮楽善斎で倒れ、亡くなった。昭和天皇と同時期を生き、時代の激動に翻弄された女性だった。当時の韓国首相は弔辞で「福祉にささげた美しい精神は、わが民族の心に永遠に宿る」とたたえた。今、その精神は語り継がれているのだろうか。

 国と国が敵対しても、民と民は言葉や文化の壁を乗り越え、友情を育むことができる。それは、板東俘虜収容所を舞台に、私たちの先人が残した物語が証明している。決して奇跡ではない。

 平昌冬季五輪でレース後に抱き合った小平奈緒、李相花の両選手に今月、韓日友情賞が贈られた。小平選手は「特別の情景でなく、日常のもの」、李選手も「友情を大切にしたい」と語った。

 東京のコリアンタウンがあるJR新大久保駅では、2001年1月、日本語学校に通う留学生李秀賢さんとカメラマン関根史郎さんが、乗客救助で線路に飛び降り、いずれも死亡した。

 李さんの両親に寄せられた見舞金で日本語学校生の奨学金制度ができ、奨学生は既に800人を超えた。駅には2人の行動を顕彰する銘板が設置され、「日韓の懸け橋」のシンボルとなった。

 しかし、10年後には李明博大統領の竹島上陸でヘイトスピーチのデモが頻発。今は、化粧品や食べ物を目当てに女子中高生が集まる街になった。若者たちの多くは、朝鮮半島を巡る歴史に頓着していないようだ。

 人と人の友情や敬愛は、外交の思惑とは別個のものだ。「愛国」や「売国」のレッテルで国民を色分けしようとする人々に踊らされず、友愛の物語を語り継いでいきたい。