奈良の東大寺、大仏造立時の復元写真には驚いた。全身が金色に光っている。脇で守護する四天王は青、赤、黄と極彩色。大仏殿は色の洪水だったようである(「日本の国宝、最初はこんな色だった」光文社新書)
 
 752年、開眼供養を行ったのはインド僧・菩提僊那(ぼだいせんな)。この翌年には、幾多の波頭を越えて、唐招提寺(とうしょうだいじ)を開く唐の高僧・鑑真がようやく日本にたどり着いている
 
 大仏の輝きもさめぬ765年の木簡に、ペルシャ人の役人とみられる「破斯(はし)清通」の名があったことが、奈良文化財研究所の調査で分かった。破斯は「波斯」と同義でペルシャを意味する。今のイラン辺りである
 
 国内の出土品でペルシャ人を示す文字が確認されたのは初めてだという。歴史書「続日本紀(しょくにほんぎ)」に登場する、遣唐使が連れ帰った波斯の人か、関係者とも考えられるそうだ
 
 シルクロードの東端までようこそ、と労もねぎらいたくなる1300年近く前の訪問者の名は、役人を養成する「大学寮」での宿直勤務に関する記録の中にあった。日本まで数千キロの道すがら、あるいは当時の超大国・唐で得た経験は、奈良の都・平城京の若者たちにはまぶしかったに違いない
 
 外国の知識を貪欲に取り込み勃興する国。赤外線撮影でようやく読み取れたという木簡の十数字は、若々しき日の日本の一端を伝えている。