熊本県出身の荒川伍平さんはキューバに渡ってから40年余り、再び祖国日本の土を踏むことはなかった。孫のフランシス・アラカワさん(54)は4年前に、熊本空港に降り立った時、地面にキスをしようとして周囲の人を驚かせたという。「急に祖国に帰ったような気持ちになってね」とハバナのレストランで話してくれた
大正から昭和に変わる頃、米国の統治下にあった現地で伍平さんはどんな夢を描いていたのか。過去をたぐり寄せると-
砂糖会社の技師だった伍平さん。妻子も呼び寄せ、希望の灯をともしていた。だが、日米の開戦で強制収容所に送られ、暮らしは一変する。1959年のキューバ革命にも翻弄(ほんろう)された
彼女が6歳だった68年、伍平さんは亡くなった。「母の話では、祖父は収容所での多くを語ることはなかった。私が覚えているのは三味線を弾く姿ですね」。その述懐に伍平さんの望郷の思いを感じずにはいられなかった
<花摘む野辺に日は落ちて…>。ハバナの夜が更ける中、霧島昇が戦前に歌った「誰か故郷を想わざる」(西條八十作詞、古賀政男作曲)のメロディーがふと心に流れた
日系1世の苦労話が胸にしみた。彼女の望みは、ルーツの熊本の一日も早い復興と日本との関係が深まることである。再来年、日本人がキューバに移民して120年を迎える。