車の流れはずっと速かった。それでも制限速度を守り、一番端の車線を走り続けた。三笠宮さまはおっしゃったそうだ。「立場上、規則を破れないから」

 何もかも、というわけではない。主張はしばしば、皇族の“制限速度”を超えた。事実と神話を厳しく区別する歴史観を貫き、紀元節(建国記念日)の復活には強く反対した。皇室を取り巻く環境を「菊のカーテン」「格子なき牢獄」と表現したことも。天皇の生前退位にも言及している

 現在の皇族では、ただ一人の軍務経験者。戦時中は中国・南京に赴任し、戦争の実像を目に焼き付けた。当時から軍部に批判的で、終戦直前には、後ろ盾を期待する抗戦派陸軍幹部からの働き掛けを断固拒否した

 「偽りを述べる者が愛国者とたたえられ、真実を語る者が売国奴とののしられた世の中を、私は経験してきた」。大胆な発言が波紋を広げ保守派勢力から攻撃されても、いささかもぶれなかった信念は、この時代に鍛えられたものだろう

 戦後は、古代オリエント研究に没頭した。最後となった著書には、こう記している。「平和とは戦争の休止期間にほかならなかったとさえいえる。それでも、われわれは何としても、その平和の期間を1年でも長く保つように、最大の努力を尽くさねばならないと思う」

 その言葉が古びることはない。