千年を超えて、寒々とした心境になる。「清少納言という人は、利口ぶってはいても、それほどの人ではありません」。日記の筆はいよいよ勢いづく

 「風流を気取っているものだから、格別なことでなくても感動してみせる。的外れったらありはしない。きっと、ろくな一生を送れませんよ」。悪口雑言の数々、紫式部も相当な人だ

 おっしゃる通り、代表作「枕草子」には知識をひけらかすような記述もある。日記の人物評も、遠からず、といったところか

 百人一首に入る<夜をこめて鳥のそら音ははかるともよに逢坂の関はゆるさじ>。鶏鳴狗盗の故事であるまいし、鶏のまねをしても関は越えられませんよ、と書家・藤原行成をやり込めた。才走ってはいても、千年もの時間の論評に耐えた書物の著者、疑いなく平安時代を代表する文学者の一人である

 本名未詳。晩年は京都近郊に住んだようだが定かではなく、終焉の地の伝承が各地に散らばっている。鳴門市里浦町もその一つだ。牡丹寺として知られる観音寺、天塚堂にまつられた小塔は、江戸時代に再建された清少納言の墓碑と伝わる

 里浦は彼女の父・清原元輔の領地だったそうで、あながち見当外れと言えないかもしれない。土地に歴史あり。そう思えば、そぞろ歩く小道や芋畑、漂うキンモクセイの香りさえ立体感が増す。