何と気が早い。まあ、そう言わずに読んでほしい。ちょっと怪しい表題だが、「万国奇人博覧館」(ちくま文庫)に掲載されている、米国であった話である

 妻の余命がわずかだと知った夫。最後のクリスマスを見せてやろうと思い立った。ところが、まだ11月だ。妻は12月25日まで持ちそうにない。何とかしてやれないかと、夫は、市長をはじめ、町中の人たちに協力を求めた

 これに応え、地元新聞が「メリー・クリスマス」の大見出しを掲げた特別号を発行した。店は華やかに飾り付けをし、客に扮した市民でにぎわった。クリスマスの買い物を楽しんだ妻は数時間後、感謝しながら目を閉じたという

 墓石に刻まれている。<1959年11月19日、クリスマスの夜に召されし妻、ここに眠る>。妻も仕掛けに気づいていたはずだ。けれども、幸福感はいつもの年に倍する夜だったに違いない

 夫は大金持ちで、だからこんなことができたのだ、と美談を台無しにするような想像も湧くが、肝心なのは話の骨組みである。夫と妻、支える周囲の人。優しい気持ちが皆をつなぎ、この物語は成立している

 私たちの社会は、生まれてから死ぬまで、障害があってもなくても、自分らしくいられるだろうか。優しさという潤滑油が少し足りないのではないか。そう思う出来事が近ごろやけに多い。