財産は天に-。建設機械大手コマツの社長、会長を務めた安崎暁(さとる)さんから「余生を3等分し、その一つは世のため、人のために使いたい」という話を聞きながら、そんな言葉が浮かんだ

 10年余り前、古希を前に安崎さんが起案したのは、戦後間もない時期を過ごした吉野川市への恩返しだった。東京の学校が空襲に遭って新潟に疎開、終戦は京都の防空壕(ごう)で知る。出征した父の姉を頼り、鴨島に落ち着いた

 「イモの葉や茎だった食事がサツマイモや麦飯に変わってね」。遠い記憶をたぐる安崎さんの話に、当時の担任の名が次々に出てくる。「空腹の私を見かねてカレーライスをごちそうしてくれた」「東京に戻る前に珍しい英語のテープをもらったよ」

 古里に恩を返したいと、私費を投じて始めたのが市内の小中学校教員を海外に派遣する事業だった。10年間で40人を送り出し、その渡航先は、先進国のほか、ペルー、イラン、南アフリカなど28カ国に及ぶ

 海外一人旅だからこそ、学び、気付くことは多い。身の危険を感じた経験、シュタイナー教育、マラソンへの挑戦…。それを子どもたちに伝えていく

 日本花の会理事長も務めた安崎さん。傘寿を前に、心待ちにしているのは、モンゴル・セレンゲ県に送った桜の花が咲くことだという。古里に、世界の国々に、その足跡が残る。