<まろうどはふとふりむいて、風にゆれさわぐ樫の高みが、さあーっと退いてゆく際に、眩ゆくのぞかれるまっ白な空をながめた、なぜともしれぬいらだたしい不安に胸がせまって。「死」にとなりあわせのようにまろうどは感じたかもしれない>

 作家三島由紀夫が、学習院中等科在学中の16歳の時に書いた記念的短編小説「花ざかりの森」は、早熟の才を証明している。末尾に見える「死」は、三島文学の中核をなす概念で、後の三島の割腹自決を読み解くキーワードだ

 1941年に文芸誌「文藝文化」に掲載された「花ざかりの森」は44年、七丈書院から処女短編小説集として刊行された

 三島はよほどうれしかったらしく<これで私は、いつ死んでもよいことになった>と振り返っている。無名の少年の本の出版に尽力したのは三好市山城町出身の作家富士正晴だった。三島がいう<氏の無償の行為>は、名伯楽だった富士の本質を突いている

 これら初期の4作品の直筆原稿が見つかった。「文藝文化」の同人で三島と親交のあった国文学者蓮田善明の遺族が、熊本市の「くまもと文学・歴史館」に寄贈した

 直筆原稿は、作家の思考や創作の過程を研究する上で大切な資料になる。文章の削りや書き足しの跡が残っているからだ。三島の死後46年。天才作家はなお雄弁に語り掛ける。