親譲りの口の悪さで子どもの時から損ばかりしてきた当方である。児童文庫で「坊っちゃん」を読み、田舎をばかにしやがって、と腹を立てた。だんごや汽車に坊っちゃんとつけ、ありがたがるのもどうか、とお節介にも考えた

 いろんな解釈ができる、と知ったのは、それから随分たって。江戸っ子漱石は心からの田舎嫌いらしいが、例えば愛媛県出身の作家早坂暁さんはこう読み解く

 <どうやら「坊っちゃん」は四国辺の中学校に舞台を借り、”なもし“の方言を借用して、祖国の江戸を占領した薩長藩閥政府を冷笑悪罵している小説らしい>(「夏目漱石青春の旅」文春文庫)

 言われてみれば、坊っちゃんの盟友山嵐も、幕府と共に戦った強情張りの「会津っぽ」だ。単純や真率が笑われる世の中じゃあしょうがない、この国はおかしくなってるぜ、と筆鋒も鋭くなるわけである

 話の腰を折るようだが、坊っちゃんのモデルとされる数学教師・弘中又一は敵地長州、周南市生まれの同志社出。松山中に着任早々、天ぷらそばではなく、しっぽくうどんを4杯平らげた。後年、阿南の富岡中の教壇に立つ

 近代日本の将来を憂えた漱石。臨終の床、泣きじゃくる末娘に「いいよ。泣いてもいいよ」と声を掛け、黄泉への行人となった。1916年12月9日のことだ。以来100年になる。