日露で思い出した。愛媛県伊予市の伊豫岡(いよおか)八幡神社のことである。拝殿に日露戦争の絵馬が掲げられている。戦争終結翌年の1906年、復員した氏子が奉納した

 酸鼻を極めた旅順要塞(ようさい)攻防戦。「その間、一尺(30センチ)ほど」とは少し大げさだが、塹壕(ざんごう)から頭を出せばすぐ撃たれてしまう、鼻を突き合わせるような距離で死闘を繰り広げた

 絵馬に描かれているのはこの戦闘だ。砲弾がさく裂する中、負傷した兵士が手当てを受けている。ロシア兵の姿も見える。けが人に敵も味方もない。図柄は氏子の体験か、友情のような空気さえ漂う

 夏目漱石もここを訪れ、案内人の元従軍中尉からこんな話を聞いている。戦いに疲れれば露兵と話をしていたというのである。<酒があるならくれと強請(ねだ)ったり、死体の収容をやるから少し待てと頼んだり、あんまり下らんから、もう喧嘩(けんか)はやめにしようと相談したり>「満韓ところどころ」

 戦争に翻弄(ほんろう)される人々。もし当人たちが顔を突き合わせれば、喧嘩の始末も意外にすんなりいくかもしれないが、国が絡むとそうはいかない

 北方領土が占拠されて71年。安倍晋三首相はきのう、殊の外、気が合うというプーチン大統領と1時間半の膝詰め談判に臨んだ。停滞の歴史を一気に氷解させるのは難しいとしても、一歩でも進んだといえるか、きょう。