<大江山いく野の道の遠ければまだふみも見ず天の橋立>。小式部内侍(こしきぶのないし)の歌である。大江山を越え、生野を通っていく道は遠いので、まだ天橋立も見ていないし、(母からの)文(ふみ)も見ていない。平安の昔、京の都から、母和泉式部がいた丹後の地はあまりに遠かった

 この歌を思い浮かべながら、老母と2人、京都府宮津市の天橋立を訪ねた。朝方、徳島市は晴れていた

 高速道で山を越えると、雨空に変わり、昼前に着いた天橋立は小雨にぬれていた。それでも、山上の傘松公園で、股のぞきをすると、天と海が逆転して、空の上に緑の天橋立が架かっていた。少々、天気が悪くても、ああ、これが日本三景の一つかと納得できる

 観光船からも眺めた後、松林に縁取られた天橋立を歩くと、そこは薄暗い砂の参道のようで別世界だった

 <めずらしく晴れわたりたる朝なぎの浦わにうかぶ天の橋立>。歌碑に刻まれているのは1951年、戦後の民情を視察した昭和天皇がこの地で宿泊した際の歌だ。師走の雨の中に、快晴の天橋立が見えるようだった

 帰途、山を越えると再び青空に。わずかな時間で日本海と瀬戸内海側の天気の違いを実感できる時代、どんな歌が天橋立を彩るだろう。母が子を、子が母を、という記事が時折載る。両岸を結ぶ天橋立のように母子の絆は強くあってほしい。