昨年の生誕300年を頂点にブームも一段落といったところだが、鳥の絵なら、若冲(じゃくちゅう)は外せない。京都の青物問屋の主人、四代目伊藤源左衛門。当時の大店のふうにおぼれず、酒色に関心のない、描くことだけが楽しみの人だったといわれる

 代表作「動植綵絵(どうしょくさいえ)」の精緻を極めた鶏の図は、庭に放した数十羽を日々観察し、絵に封じたものだ。一風変わった画名は「老子」から。「沖(むな)(冲)しきが若(ごと)く」。つまり、からっぽ、だ

 「若沖」の字の見える同書45章の一文は、こう意訳できるそうである。<本当に充実しているものは、一見、からっぽのように見えるが、どんなに汲(く)み出しても、汲み出せるものじゃないね>「新訳 老子」(PHP研究所)

 見かけにとらわれていては、いつまでも本当の姿は見えない。卑近な例では、いかにも本当そうな大うそ、善人そうな悪人、反対に、うそのような本当、悪人面した善人と、こうした話はいくらでも思いつく

 成人式のシーズンである。大人になった諸君には、若冲とまでいかずとも、にせものはびこる世間で、本物を見抜く観察眼を養ってもらいたい

 と、偉そうに言うあなたはどうかって? いくつになっても、だまされてばかりですよ、本当に。老子に「大器晩成」ともあるでしょ。道に終わりはありません。だから歩き続けるのです。