労働の労に「り」を付ければ、いたわりとなり、「い」を付けると、ねぎらいとなる。<いたわりとねぎらいは、自己だけでなく他者にも向けられなくてはならないことを「労働」という言葉は教えてくれる>

 批評家若松英輔さん著「言葉の贈り物」(亜紀書房)から引いた。患者へのいたわり。福島県広野町にある高野病院の院長高野英男さんの足跡に、それが刻まれている

 あの3・11から5日後の本紙16日夕刊にこうある。「町のほとんどが原発から20~30キロの屋内退避圏内にある広野町の高野病院には、100人以上の患者が残る。大半は高齢者で、寝たきりの人も多い」。23日付朝刊には「高野病院では病状などを考慮し38人の患者が残った」

 原発事故前と変わらず、病院に残り、診療を続けてきたのが高野さんだった。事故後も、傘寿を過ぎながら、ただ1人の常勤医として被災地を支えてきた

 高野さんが昨年暮れ、火災で亡くなった。病院のホームページに<まさに身を削るように地域医療の火を消してはいけないと、日々奮闘してまいりました…>とある。町や県は、医師確保に向け支援すると表明した

 ろうそくは身を削りながら、周りを照らす。高野さんの信条は<どんな時でも、自分の出来ることを粛々と行う>。働くとはという問いに対する一つの答えともいえる。