熊本県の水俣に生まれ、水俣で暮らす。水俣病が公式確認されてから昨年、60年を迎えた。その節目に当たって、残すべき経過、語るべきことをまとめた。2期8年、市長を務めた吉井正澄さんの「『じゃなかしゃば』新しい水俣」(藤原書店)

 書名は、これまでの社会システムとは違う世の中(娑婆)をつくろう、との意だ。1989年の国際会議で水俣病資料館語り部の会名誉会長の濱元二徳さんが話した言葉だという

 「水俣病は市長のする仕事ではなか」。そう警告されながらも、94年の犠牲者慰霊式で吉井さんは市長として初めて謝罪する。評価され、批判され、再生を目指した道程

 支えになった一人が語り部で知られた杉本栄子さんだった。被害体験を語り「水俣病は、私にとって“のさり”(天からの授かりもの)でした」と言い切った姿が、本書から立ち上る

 病床の父は「栄子、人を恨むな、どんなに恨んでも人の心は変えられんとぞ。自分が変わるこったい。自分が変われば心も休まっと」と諭した。杉本さんが、難行を菩薩行にした原点がここにある

 かつて上勝で講演した吉井さんに同行し水俣再生の物語をうかがった。それを求め、アイガモ農法で米作りにいそしむ吉井さんの元には、聞き書きに、学びに来る学生が今なおいる。そのたびに60年前から話を起こす。