縄文時代の道路事情は見当もつかないが、どんな道であれ、どのみち歩くのだから1日の移動距離はたかだかしれている。主要な交易路はむしろ水上にあったようだ

 5千~4千年ほど前に栄えた三内丸山遺跡(青森市)からは、600キロ離れた新潟県糸魚川産のヒスイや佐渡の黒曜石が出土している。いずれも舟で持ち込んだ。マグロにブリ、タイにサバと、漁にもいそしんだ縄文人の操船術は侮れない。海や川は地域間の交流を支えた高速道路だったのだろう

 それにしてもの距離である。海の道が南へ北へ、これほど延びていることに改めて驚かされた。沖縄県北谷町の遺跡で、縄文晩期(3千~二千数百年前)の東北地方を代表する「亀ケ岡式土器」とみられる土器片が出土した

 まるで宇宙人のような遮光器土偶で知られる亀ケ岡石器時代遺跡(青森県つがる市)に由来する土器である。各地で模倣品が作られたほどの大人気ブランドだった

 東北、北海道の同時期の遺跡からは、南海産の貝を使った装飾具が出ている。南と北、2千キロ余りも隔てた人々が、互いに珍しい品を求め、海へこぎ出す姿を想像すれば楽しい

 2千キロの物差しを世界地図に当てると、交流圏は東アジアに広がる。北部九州に米作が伝わった頃である。それから随分長い付き合いなのに、とこれまた改めて驚く。