続きを読んで、がくぜんとする時がある。<明日のことを思いわずらうな>。そうか、お気楽にいけばいいんだね、とは早とちり。<一日の苦労は、その日一日だけで十分>。次に控えていたのは、明日の重荷をも暗示するような文だ。気苦労ばかりが募るのである

 亡くなった三浦朱門さんはキリスト者。この聖書の一節を、俗人にも分かるように解きほぐす。明日を思いわずらうのが、なぜいけないか。どんな日になろうと、今日なすべきことがある。明日の心配をしているうちに、今日がなおざりになっていないか-

 作家であり、元文化庁長官でもあった。妻は作家の曽野綾子さん。「老い」をテーマにした著作も多かった

 理想の死に方を問われて、「認知症かな」と答えている。体力や社会的能力の衰えた老人にとっては、救いだ、と(「家族はわかり合えないから面白い」三笠書房)

 できることなら、聞いてみたい。「本当にそうでしたか」。そうなるか分かりもしないのに、やはり明日を心配してしまう

 <不安こそはあなたの人生での忠告者だが、彼はあなたと同じく、世なれない忠告者であることを忘れてはなるまい>「老いは怖くない」PHP文庫。いくらか世に慣れて、解消した不安もあるけれど、新顔も次々と。ならば、今日一日を精いっぱい。たまに、さぼりつつ。