雪の福島県会津若松市から、喜多方市から、会津美里町からいずれも3里(12キロ)の会津坂下町(あいづばんげまち)は交通の要衝である。昭和の大歌手として知られる春日八郎さんは坂下町の生まれだ
中心部の南に一本杉と地蔵さんが立つ「春日八郎記念公園・おもいで館」がある。1メートルもの積雪があり、一本杉も、地蔵さんも雪をかぶっている。町によると、この時期は休館し、雪解けとなる来月12日に開館するという
春日さんが、故郷の情景を思い浮かべて歌った高野公男さん作詞、船村徹さん作曲「別れの一本杉」に休みはない。午後5時、時報を知らせるチャイムとして町に流れる。そのメロディーも、きのうは悲しく響いたに違いない
船村さんが逝った。ギターの流しなどをしながら曲を作り、1955年、23歳でこれを発表した。「一番思い出深い曲。わたしの青春時代のモニュメントです」と振り返っている
大病を患い、緊急入院後、美空ひばりさんが再起第1作に指名したのは船村さんだった。87年の復帰曲「みだれ髪」もまた、福島県いわき市の塩屋埼が舞台となった
栃木県生まれだが、北よ、南よと歩いた。本県の景勝地・美濃田の淵周辺にも訪れている。<泣けた 泣けた こらえきれずに 泣けたっけ>。往時を懐かしみ、口ずさみ、悼む人は多いだろう。徳島にも、福島にも…。