戦後、来県した日本文学研究者のドナルド・キーンさんは、戦災で焼け特徴をなくした徳島の町を見て、全ての建物を藍色に染めることを思いつく。随筆に「徳島よ、世界最初の藍色の町になれ」と記している
それは壮大な夢だとしても、藍商をルーツとする企業は今も健在で、藍色の看板や藍にちなんだ名の店もよく目にする。県のブランド戦略の共通コンセプト「vs東京」のロゴも藍色だ。県職員の名札や名刺も藍色と白が基調になった。「藍尽くし」でも飽きないのは、その深みのある色合いゆえか
東京五輪・パラリンピックのエンブレムに藍色の市松模様が採用されたのも追い風で、県は藍のPRに余念がない
徳島特産の藍は藩政時代、全国に名をはせ、郷土に大きな富をもたらした。化学染料に押されて衰退したが戦前、徳島市藍場浜には白壁の藍蔵が立ち並び、昔日の栄華を伝えていた
青は藍より出でて藍より青し-。青は原料の藍から作られるが、藍より青い。弟子が教えを受けた師よりも優れた人になることに例えられる
吉野川流域の8市町は、阿波藍の栽培技術や文化財を「日本遺産」に申請した。藍から取り出せるのは青い色だけではあるまい。阿波の栄枯盛衰の歴史を映す藍には、まだまだ生命力がある。新たな息吹を吹き込むことが、先人への恩返しになる。