それいけの時代があった。働け、稼げ、もっともっと、と。「モーレツ」はもう遠くなったはずなのに、まだまだなのか。過労自殺でわが子を失った母の悲しみは置き去りだろうか

 残業時間の上限規制を巡る連合と経団連の労使協議が決着した。焦点の1カ月当たりの上限は双方のこだわりで折り合いが付かず、安倍晋三首相が「100時間未満」を裁定した。いわゆる「過労死ライン」はかろうじて下回ったが、だから安全というわけではない

 電通の新入社員で一昨年12月、過酷な長時間労働の末に自殺した高橋まつりさんの母幸美さんは書いた。<月100時間働けば経済成長すると思っているとしたら、大きな間違いです。人間は、コンピューターでもロボットでもマシーンでもありません>

 人は何のために働くのか。そう問いながら、おとといの本紙夕刊に載ったコメントをたどる。<命を落としたら、お金を出せばよいとでもいうのでしょうか>

 410字余、余白にも家族を失った遺族の悲しみがにじんでいるように見える。<娘のように仕事が原因で亡くなった多くの人たちがいます。死んでからでは取り返しがつかないのです>。働く一人一人に向けられている

 亡き人の、母の思いは一つだろう。もう悲しむ人をつくらないで。働きやすい、生きやすい改革を進めて、と。