三遊間の一番深い所から投じた一球に、並み居る野球エリートたちが息をのんだという。「中学を出たばかり。普通なら山なりですよ。それがホップしたように見えた」。徳島商高で川上憲伸さんと白球を追った同僚の記憶である

 当時の野球部長・坂東徹さんに見いだされ、投手に転向し、花開く。甲子園に出場、明治大でスター選手に。中日入団後は最多勝に沢村賞、優勝にも貢献した。2009年には、大リーグのマウンドに立っている

 川上さんが現役引退を表明した。日米通算125勝は県人投手で最も多い。小学校の卒業文集に「プロ野球選手になる」と記した、その夢をそのまま実現したが、けがに悩まされ続けた

 新人王を獲得して数年、調子を落としたことがある。直球に近い球速で鋭く曲がるカットボールを習得して復活、巨人相手にノーヒットノーランを演じた

 浮き沈みのあったプロ生活。過去記事を繰っていて、こんな言葉を見つけた。「ユニホームを洗い、早起きしてご飯を作ってくれる母を将来、絶対に喜ばせたいと思っていた。そんな恩返しの心がこれまでを支えてきた」

 慣れ親しんだ背番号11、漢字なら十一、プラス1とも読める。これからの人生も真っ向勝負なのだろう。今季、中日に入った大学の後輩に「人間力 魂」としたためた色紙を贈ったそうだ。