「武者返し」で知られる石垣が崩れていた。「大天守」は多くの屋根瓦が落下したままだ。それでも桜は咲いた。熊本城を癒やし、人を励ます桜である
 
 被災地の桜ほど心にしみるものはないかもしれない。中国、台湾からの観光客に交じって、県外ナンバーの車も目を引く。案内してくれた地元の熊本日日新聞社の知人が言う。「徳島と言えば、谷脇さんをご存じですか」と
 
 移動棚の国内トップメーカー、金剛の創業者、谷脇源資(げんし)さんである。美馬市穴吹町から大阪の測量製図器械店を経て、1947年、水前寺駅に降りた。まだ空襲の焼け跡が残る、誰も知り合いのない土地で、徳島の人は熊本で立志伝中の人となる
 
 尽きない逸話の一つはスダチ。お中元、お歳暮の代わりに「私の気持ちとして」全国の販売店に配っていたという。その数、年間2千箱以上と2009年11月の本紙に声が残っている
 
 その谷脇さんが今年1月、亡くなった。91歳の生涯には、貧しさも苦労も転機も決断もあっただろう。戦争、震災の影も色濃い。娘婿で3代目社長の田中稔彦さんはこう言う。「与えられたご縁、自分でつくる縁を大切に。感謝を忘れずに」という創業者の思いを胸に刻んでいる、と
 
 本社近くの、夏目漱石ゆかりの「わが輩通り」でも咲いた。谷脇さんも愛(め)でた、とっておきの桜である。