一編の詩に先達の生涯を書いた。「ある闘士の生涯」。そこから見えるのは、苦しみ抜いた、漁が大好きだった父を抱く姿、悲しみ、悔しさに震える姿、雪の舞う東京でチッソ本社前に座り込んだ姿・・・
 
 <自分のなすべきことを果たし続けた>。未認定患者救済運動を展開した軌跡がここにある。水俣病資料館元館長の坂本直充さんの詩集「光り海」(藤原書店)に収められている
 
 水俣病をのさり(天からの授かり物)だと悟った「ある語り部の生涯」も詩にした。<彼女は/運命を深く受け入れた/自然の痛みを受けいれた/いのちの痛みを受け入れた/痛みはいたわりへのまなざしを開いた>
 
 自らも6歳のころから少しずつ歩けるようになったという坂本さん。詩は高校1年から書いているが、学生時代は「言葉が形にならず、砂のように崩れていった」と語った
 
 水俣に戻り、患者と対話を重ね、形になり始める。水俣を考えるだけではなく「水俣から考えていく大切さ」を説く社会学者にも共感した。「苦海浄土(くがいじょうど)」で知られる石牟礼道子さんは本書に、こんな句を贈った。<毒死列島身悶えしつつ野辺の花>
 
 先達は後事を託すべき人に託す。詩人は先達の葛藤、水俣への深い思い、祈りを詩に刻む。詩は風化を押しとどめよう。5月1日、水俣病が公式確認されてから61年を迎える。