江戸時代というものの正体を司馬遼太郎さんが短編「おお、大砲」に書いている。天誅(てんちゅう)組の変で決起軍に攻められた奈良の高取藩。大坂の陣以来の大砲を6門引き出したが、火を噴かない
 
 250年の間に、いつしか口伝に誤りが生じた。火薬の調合がうまくいかない。ひび割れた砲もあった。それを守ってきた大砲方。結果として、使いものにならない砲で家禄(かろく)を得、子々孫々食ってきたのである
 
 <それが、封建制というものだった。この制度は、人間や身分を数百年間、制度のカンヅメに入れてきただけでなく、大砲までをカンヅメにしてきたのである>
 
 同じ雇われの身でも、こちらはぬくぬくとはいかなかったかもしれない。滋賀県甲賀市で見つかった忍者の史料「渡辺家文書」の中には「秘密契約のため、父子兄弟や友人にも話さない」とした誓約書があった
 
 平時は農民を装い「御用之節ハ、早速致参着」。有事にはすぐ駆け付けると記し、仕えている尾張藩に代々提出していたそうだ。太平の世に、妻子にも秘密を明かせないとは。その苦労、よく分かるという人もいようが倫理には立ち入らない
 
 そんな仕事があるならば、大砲方にも忍者にもなれる今。技術革新も進むが、それはそれで生きにくい。「平成のカンヅメ」の中でじたばたしていた、と後世の人なら書くだろうか。