事件を説明するパネルの間に、レンガ色の短冊がかかっていた。<憲法記念日ペンを折られし息子の忌>みよ子。解決を願いつつ、2年前に亡くなった母が詠んだ。朝日新聞阪神支局襲撃事件から30年になる
 
 兵庫県西宮市の支局を訪ねた。市役所そばの住宅街の一角、意外なほど静かな場所にある。1階に設けられた祭壇に、よく知られた写真が飾ってあった。線香の煙になでられ、ネクタイを緩めた小尻知博記者が笑っていた。まだ29歳だった
 
 3階が資料館になっている。当時着ていたブルゾンが、ガラスのケースに収まっていた。穴が開き、血が染み込んで変色している。犯人の撃った弾は、左脇腹から記者の体内に入り、約200の散弾粒をはじけさせた
 
 展示品には「赤報隊」を名乗る犯行声明文もあった。「反日分子には極刑」とワープロで印字されていた。思い返せば「反日」は左右の特異な集団の言葉ではなかったか。それがもはや一般化したことに30年の月日を思う
 
 <明日も/喋(しゃべ)ろう/弔旗が/風に/鳴るように>(小山和郎)。言論の自由を封殺しようとする動きは、事件後も続いている。屈しない、との決意は、この詩を掲げる朝日1社のものではない。政治的立場も超える
 
 同じ日、安倍晋三首相は憲法を改正し2020年に施行する、と表明した。喋ろう私たちも。