京風の上品な膳に、「水くさくて食えぬわ。料理人を殺してしまえ」と息巻いた、というのは織田信長のよく知られたエピソードの一つだ。江戸時代の随筆「常山紀談」に出てくる
 
 料理人の姓は坪内、名までは伝わっていない。鶴鯉の包丁をはじめ、伝統的な七五三の膳の儀式にも明るく、宮中でも通用する第一級の腕前だったようである。「いま一度機会を。それでだめなら腹を切る」と願い出て許しを得た
 
 翌日の朝食の席。今度は殊の外うまかったようで、さすがの信長も大いに喜んだ。実はこの人、信長に滅ぼされた三好家の料理人だった。この後、聞く人も驚く皮肉を口にする
 
 「三好家は、長輝に始まり5代にわたって日本の政治を仕切ったのだから好みも一流。きのうはそれを出したので、まずいと言われたのも無理はない。けさは三流の、田舎風の味付けにしたから口に合ったのでしょう」
 
 信長をやゆする小話だが、徳島人としては別のことを思う。阿波から出た三好氏が、いいところまで行きながら、天下を取れなかったのは無理もない。味覚まで京風に染まっては、戦国を制して、次の世を切り開けるはずがなかった
 
 もう一つ思う。三代続けば末代続く。そんな政治家が随分と目立つ今どきの政界である。この辺で次の世を開く、田舎風の野太い人が出てこないものか。