源義経との悲恋の物語で知られる静御前は、舞の名手、磯禅師(いそのぜんじ)の娘。晩年を母の故郷・讃岐で過ごしたとの言い伝えがある
 
 兄頼朝と対立し都落ちした義経に従ったものの、捕らえられ、鎌倉に送られた。鶴岡八幡宮で日本一と称された舞を披露する場面が、悲しみの色をより濃くしている
 
 頼朝の前で静御前は舞い、歌う。<しづやしづしづのをだまきくりかえしむかしを今になすよしもがな>。「しづのをだまき」は、古代の織物「しづ」に用いる糸を巻いたもの。糸を何度も繰り出すように、昔に返る方法があったらなあ、といったほどの意味である。「伊勢物語」に出てくる歌の初句を、わが名に換えて、義経への思慕の情を詠んだ
 
 もっと真っすぐな歌もある。<吉野山峰の白雪ふみ分けて入りにし人の跡ぞ恋しき>。当然、頼朝は怒った。妻北条政子のとりなしで場は収まったものの、間もなく生まれた子は殺された
 
 さぬき市長尾の四国霊場87番札所・長尾寺には、関連の史跡・剃髪(ていはつ)塚が本堂の脇にひっそりたたずんでいる。この寺で母とともに得度した際、落とした髪を収めたという。全国にゆかりの場所は多いが、波乱の生涯、心穏やかに幕を閉じたと考えたい。それには四国が最もふさわしい
 
 長尾寺の門を出て南へ足を速めれば、結願の88番・大窪寺まで、あと一息である。