人生にも四季があって、春には春の、夏には夏の過ごし方がある。老いを迎えた秋、これからは下り坂と思いがちではあるけれど-。<また一つの登りがあると考えてみたらどうでしょうか>

 東京・聖路加(せいるか)国際病院の名誉院長、日野原重明さんは「人生の四季に生きる」(岩波現代文庫)に書いている。若いころのように苦しみながら上る坂ではない。気楽に、自由人として上る坂。そう考えてみればどうか

 自分という木の葉をどう染めるか。秋には秋のやるべきことがある。時間は入れ物にすぎない。何を詰めるかで、その質は決まるのである。いくつになっても新しいことを始める勇気を持とう

 ベストセラーの題を借りれば「生きかた上手」の人である。教えてくれたのは、臨床で出会った患者さんだった。100歳を超えても現役医師として活躍した。講演や執筆も精力的にこなし、多くの人の生き方の手本となった

 4年前、妻の静子さんをみとっている。容易に口にすることができないほどの重みがあったという。亡くなったその人も、時間を共有した人々とともに生き続けている。そんな妻への思いを詩にしている。<入院一年九カ月の間/朝夕の見舞いに握った手のあたたかさを想い出す私は/あゝ、何という幸せか>

 与えられるべきものを与え尽くした人が今、天に昇る。