勝浦町の四国霊場20番札所・鶴林寺は、標高550メートルの山の上。うっそうとした巨木の森の中にある。本尊の地蔵菩薩(ぼさつ)は、この山で修行した空海の作と伝わる
 
 山門に一対の鶴の木像がある。一羽は大きく口を開き、もう一羽は全てをのみ込んだように、ぐっと閉じている。いずれも、ただならぬ形相だ。なぜか。気になり、中津公雄住職に聞いた
 
 地蔵は人々の身代わりとなって、苦しみを引き受ける代受苦の菩薩。功徳を各地に伝えるのが鶴の役割だそうだ。寺の創建とも関係しており、本堂の前には、古くから雌雄の鶴の銅像があった
 
 戦争中の話である。金属供出で、鶴は大師像とともに召し上げられた。大師像は戦後、寺の総代が大阪で捜し当てた。溶かされ、弾丸にでもなったのか、鶴は戻ってこなかった
 
 それを悲しみ、県内のある人が自ら彫って寄進したのが、先の像だという。詳しいことは分からないものの、戦中戦後の苦難が一彫り、一彫りに宿っていることは疑いがない。いきおい表情も険しくなったのではないか
 
 やがて再建された銅像に役を譲り、山門に移った今も、鶴は何事か叫び続けているようである。「世界が平和になるのはいつか。対話の努力を忘れていないか。そんなことかもしれません」と中津住職。優しさに思いやりも。訴える種の尽きない現世である。