物理学者アインシュタインとの深い親交で知られる三宅速(はやり)博士の墓が美馬市穴吹町にある。手前の「友情の碑」に刻まれているのは、友の死を惜しむアインシュタインの追悼文だ
 
 墓碑を読んで初めて知った。三宅博士も空襲の犠牲者なのである。1945年6月29日未明、岡山市の長男宅の防空壕(ごう)で、夫人と共に非業の最期を遂げた。78歳だった。この岡山空襲では1700人以上の死者が出ている
 
 三宅博士の業績と死は後々まで語り伝えられるはずだ。しかし、これらの犠牲者はどうだろう。徳島大空襲以外に、少なくとも県内15カ所で人的被害を伴う空襲があり、217人が死亡していたことが本紙の調べで分かった
 
 ほとんどの場合、狙われたのは民間人だ。地図に落とせば県北、県南、県西と、被害は県内一円に広がる。語り継ぐ催しが開かれている那賀川鉄橋の惨事などは例外的で、身近であった空襲の多くが、歴史に埋もれつつある。関係者が辛うじて生き残っている今は、記録と記憶の最後の機会といえる
 
 友情の碑にある。<ここに三宅速博士とみほ(三保)夫人が眠っている。ふたりはともに人の世のしあわせのために働き、そして世の恐ろしい迷いの犠牲となってともに亡くなった>
 
 ヒロシマ、ナガサキはもとより、全ての戦争犠牲者を思い、したためたに違いない。