全国の新聞コラム担当者で、その著書のお世話になっていないという人は、多分少数派だ。気象キャスターの草分けで、エッセーの名手として知られた倉嶋厚さんが亡くなった
 
 気象庁に入り、主任予報官や鹿児島地方気象台長などを歴任。定年退職後、NHKのニュース番組で気象キャスターを務め、分かりやすい解説が人気を呼んだ
 
 話はそれるが、天気解説者といえば「梅雨じぇんしぇん(前線)」で思い出すだろうか。阿波弁尽くしの語りと真面目な人柄で親しまれた、美波町出身の福井敏雄さん(2005年死去)である
 予報官として最も印象に残るのは、1958年1月26日、悪天候で沈没し、乗員乗客167人全員が犠牲になった南海丸事故だと明かしたことがある。以来、和歌山航路を利用するたび、必ず甲板に出て手を合わせたそうだ
 
 見通しの狂いが人命にかかわる。倉嶋さんも福井さんも、緊張感とともに自然と対していたはずである。福井さんが俳句を好んだのも、季節との、そんな付き合いがあってこそだろう
 
 5号は去ったが、台風シーズンはこれから。「日和見の事典」(東京堂出版)で、安全を人任せにしないように、と倉嶋さんは注意を促す。<個人の判断・選択・行動が生死を分けることが多いのも事実です>。言葉のあるじなき後も、生き続ける警句だ。