「ということになっている」ということに、いったん疑問を持ち始めれば、次から次へと疑問は湧いてくる

 日本が核攻撃を受ければ、同盟国の米国が核で報復するという「核の傘」。自国の大都市、ワシントンやニューヨークを壊滅の危険にさらしてまで、東京のかたきを取る、といった選択はあり得るのだろうか

 実に疑わしいが、あり得る、との前提で抑止力は成立している。万に一つでも可能性があるなら、相手方にとっては核の先制使用をためらう強烈な動機となる。もたらす結果は、それほど悲惨だ

 そんな物騒な兵器を一部の国が独占している。今のルールはそもそもおかしい、との考え方に立てば、北朝鮮のような国が出てくる。現在の脅威を抑え込んだところで、力による平和を正当化する限り、後に続く国や勢力が絶えることはないだろう

 広島、長崎の惨禍から72年がたっても、核兵器は「必要悪」ということになっている。その間、大国同士の全面戦争こそなかったが、代理戦争あり、地域紛争あり、テロあり。米ソ冷戦で凍り付いた思考を、そろそろ解凍しなければならない

 核兵器禁止条約の制定に尽力した非政府組織「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)にノーベル平和賞が贈られる。当たり前の考えが正当に評価される。2017年は、その元年となる。