詩人高野辰之が残した唱歌には、かみしめると胸が熱くなるような、日本の風景がある。朧月夜(おぼろづきよ)、紅葉、故郷(ふるさと)、春が来た―時代を超え、歌い継がれる
105年前に発表された「春の小川」は、高野が住んでいた東京・代々木の水辺を描いた。川の名は河骨。コウホネと読み、黄色い花が咲く水生植物の名前である
1964年、東京五輪に伴う開発でコンクリートのふたをされ、下水路となった。今、その川筋をたどると、細い路地に迷い込む。当時、東京の小河川は急激な人口流入に耐えきれず、悪臭を放つどぶ川と化した
都は五輪を「首都大改造」の好機として、下水道整備を一気に進める。ふたをされた川は下水路に、川筋は路地や歩道に変わった。99・8%、普及率全国一を誇る東京の下水道はこうして発達した。劣悪な衛生環境から住民を守り、外国人に日本復興を印象づけるためだった
17・8%。徳島県の下水道普及率は長らく全国最低だが、さらさらとささやくように流れていた川たちの来し方を知ると、単純に比較してうらやむ気分にはなれない。水辺が近く、川の恵みを知る暮らしが徳島にはある
東京は水辺を犠牲にして膨らんだ街である。一気の開発は、同時多発の老朽化を生んだ。再び五輪を誘致した背景に、傷んだインフラの再整備がある。開幕まであすで千日。