昭和が間もなく終わろうとするころ、宮内庁で聞いた逸話である。那須御用邸のお世話は、秋元さんという地元の方が任されていた。昭和天皇が頼りにする「那須の生き字引」だった
 
 ところが、昔かたぎの一徹者で、侍従らをよくハラハラさせる。ある日、側近たちは古老の陰口で大いに盛り上がった。ややあって、昭和天皇は侍従ら、秋元さんを伴って那須の深い自然に分け入った
 
 「聖上(おかみ)、足元にお気を付けて」。先導の侍従が振り返る。すると、何げなくこう返されたのだという。「秋元に気を付けて、ではないのか?」。アシモトとアキモトのしゃれである
 
 自分たちの陰口を陛下はご存じだ。側近たちはすぐ合点した。とっさのユーモアに、みな仲良くの願いを感じ取った。当の秋元さんには聞こえていない。一同、心の中で脱帽し、何事もなかったように那須の散策は続いた
 
 「昭和天皇独白録」が米ニューヨークで競売に掛けられる。通訳として仕えた元外交官の寺崎英成氏が天皇の言葉を鉛筆などで書き留めたものだ。時代の主役が語り、信頼を獲得した者が、一言一句漏らすまいと書き取った
 
 内容は出版物で公にされているとはいえ、原本は能弁だ。祖父母や父母の来し方行く末も、どこかの一筆に投影されているかもしれない。米国で競売とはなんとも悲しい。